我々は誰かの役に立っているのか

事業者として悩ましいことがある。


それは

<我々は本当に誰かの役に立っているのか>

という堂々巡りの自問自答。


提案した商品やサービスなどの対価として"売上"が計上される。
そこに偽りはなく、理路整然とした勘定科目(レシートや請求書など)が並び、それぞれに単価が記載されて税金が課せられる。
当然、消費者(発注者)でもある私たちも記載された金額に違和感もなく、応じた金額を支払っている。
もちろん支払いフェーズの前に見積もりや商品単価について十分に検討するから、支払う時点では概ね納得した状態になっている。

ポイントはここから。

その対価として得られる価値は、本質的に自身が抱えていた問題を解決する策となっているのか?

堅苦しい表現を和らげると

<本当にそれで何かいいことがあるの?>

である。

個人消費においても、「ちくしょう、なんでコレがこんなにも(価格が)するんだよ!騙された!」なんてシーンが多々あると思う。
企業経営をしていても、「ちくしょう、なんでこんなに広告費が高いんだよ!出せるワケねぇじゃん!(もちろんその場合は出稿しない)」なんてシーンがたくさん。

でも、微妙に出せそうな金額だと「買ってみようかな」「やってみようかな」なんて誘惑のデビルが背中を押してくる。
そこで、誘惑デビルのささやき通りに行動してみると、その瞬間は満足したけど後々考えてみるとなんでこんなことに…?
なんてことがたくさんあるハズ。

現代は有象無象の情報がサーバ上に氾濫していて、そこにいつでもどこでも誰でもアクセスができて、フェイクなニュースや偏見ある解説に触れる機会がごまんとあり、良し悪し関わらず自身の頭の中の発想を無理矢理にでも補正するようなことが起きている。

これにより、相対的な価値が低くてもなぜか納得しがちな現代。
情報が溢れすぎているから、パッケージやHPだけイケてる、有名なお店や大きな企業が取り扱っている、といった形骸的な情報に流されて消費することも多いだろう。

事業者側である我々は本当にこれでいいのか?


本質的な解決に挑まず、上澄みだけ整えて対価を得ることに必死になりすぎてはいないのか。

本当にお客様の暮らしや気持ちが豊かになることを提案しているのか。

もちろん断言できるが、誰もが嘘をついたり騙そうとしているつもりは一切ない、ということが大前提にある。

しかし、それならばもっと価値のある提案をすべきではないか?
価値に応じた単価を設定するべきではないのか?
単価を上げたいならば、価値を高めなければいけない。
価値を高めるためには、本質に迫らねばならない。
『100円のコーラを1,000円で売る』という本を昔読んだことがあるが、その本質とは"価値ある提案をせよ"である。
決して、見た目だけの価値で挑んではいけない。

そして、本質を見抜くには、センスが必要だ。外見および内面を装飾するだけのセンスではなく、人の心や動きを感じとるセンス(感性)を磨かねばならない。
感性は知識と経験の掛け合わせで育つのだから、日々のチャレンジと勉強は必須である。

もっとセンスを磨いて、世の中の人々や関係者の役に立ちたい。
見た目ではなく、根っこから感謝される人間になりたい。

本質的に誰かの役に立ち続けることを人生の目的に設定して生きていこうと思う。
心の底からそう思う。



だから…



マスクを高くして売っちゃいやーん!!!


何気ない日常の生活

K.K Director 日常に感じたことをつらつらと書き溜めています。限りなく個人的ではありますが、たまに仕事の話をしています。 関西を軸にライフスタイルカンパニーと銘打った企業の経営をしています。主な事業は生活雑貨&ファッション小売、カフェ、ヴィンテージ雑貨、その他プロデュースです。 https://www.buff-aida.com

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