SNSによる感性劣化
…を感じざるを得ないくらい、SNSを通じて様々な(良く言えば)個性的な情報が入ってくる。
時には
"え、これオシャレなの?"
"え、これが流行りなの?"
という、ウソみたいなモノだってある。
そんな場合でも
"フォロワー多いやん"
だけで評価される。
※Instagramの場合
…Why Japanese People!?Why!?
ちゃんと自分の感性を信じて、ワケわからん情報に流されるナ!
フォロワーが多いからとはいえ、感性が優れているとは限らない。
もちろんフォロワーが多いということは大多数の人々に支持されているから、何かしら突出した価値観があるのだろう。
それは間違いない。
ただ、フォロワー数=感性のパロメータではないということも間違いない。
にも関わらず、フォロワー数が多いだけで安心感があるのか盲目的な信者(失礼ながら)は恒常的に集まる。仮にその人々が一定以上の感性を持って発言するならまだしも、感性のかけらもない(失礼ながら)一部の人々が口を揃えて"◯◯さんのInstagramはオシャレ"なんて言って一種のバズった状態になることもある。
特に若年層に限ってはあまり知見の育っていない状態であるがゆえ、周辺の偏った評価のある人々に騙されて誤った感性を植え付けられているような気がする。
偏った評価というのは言わずもがな、フォロワー数という信憑性の低い、全くもって安心感とはほど遠い架空の数字。
その架空の数字は、あたかも自身の『人間ポイント』のように感じられる。その数値の増減が人生において最も大切かのように。
SNSは
・Social(社会的な)
・Networking(繋がりを得る)
・Service(サービス)
だから、あくまである種の社会(趣味や興味軸)に共感する繋がりを得るツール(サービス)でしかない。
それすなわち、自身の世界ではない。一部ではあるかもしれないが全てではない。
そして、そのサービス上に教祖は必要ない。繋がりを得るために宗教的になることを考えるなら、人類の歴史に学ぶ必要があるのかもしれない。
話が逸れたが、フォロワー数が多いから感性に優れているわけではない。
良いモノは良い。
悪いモノは悪い。
架空の数字に惑わされず自身の感性を磨いて欲しい。
自身の目で見たことだけを捉え、自身の耳で聞いた周りの情報を組み合わせ、正しい答えを導き出せるような人になって欲しい。
自分の子どもはそうやって育ててやりたい。
あー、今日もフォロワー増えへんかなぁー!!
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