結果を左右する組織の構造的課題
新店舗開業でバタバタして、コロナ騒ぎでクサクサして(ダサい)、毎度毎度、Blogがおろそかになってる。そもそも誰も見てないし何に対しての自責なのかわからないけど、今年はやろうやろうと思っていたのに全然できへんかった悔しさが残る。
来年こそは…ボソ。
さて、今も渦中ではあるが今回のコロナ禍を経験して、国という大きな組織のシステム課題がある程度、顕在化したと感じている。
そこからたくさん学ぶことがあり、備忘録も兼ねて記録に残しておこうかなぁと考え、久々のBlogに向き合うことに。
めっちゃ長くなってしもた。
さてさて、本題。
コロナ上陸初期は純然たる危機管理意識から、政府は感染に対する恐怖をメディアを通して国民に伝えた。そこまでも色々と揉め揉めしていたけど、緊急事態宣言あたりからどうも雲行きが怪しくなってきた。
ただし、金融政策はある程度の恩恵を受けることができたし、バラマキに関してはやりすぎ感が否めなかったけどそこまでは良い。
問題…というか学ぶべきことはここから。
GO TOキャンペーンを巡るアレやコレ、指定感染症を巡るアレやコレ、ワクチン開発を巡るアレやコレ…並べればキリがないけど、政権批判をしたいワケではないのでこれぐらいにしておくと、どれもその裏側に様々な利益と権力のジレンマがある。
そもそも策に対する"目的"と"目標"の説明がすっ飛ばされ、実施することが目的のようになっているから揉め揉めするのだろう。
さらに問題が起きたフェーズにおいて、目の前の世論を片付けるため火消し作業が必要になるけど、またもや火消しが目的になる。
そうして負のサイクルが止まらず、振り回される民たちは各々の立場から救済の声をあげる。しかし、その声は各団体のプロパガンダ程度にしか取り上げられない。
当初の目的・目標の設定を曖昧にされ、どうしても予定調和の波に流されていく感覚が否めない。
そもそもコロナ(というよりも今回のような感染症)に対してどうありたいのか?感染ゼロにするのか?感染したとしても対処する方法をとるのか?いや、逆に無視して自然免疫に任せるのか?どれを目的に据えても、全く方策は変わってくるし、目的達成に向けた目標意識も千差万別。ここを握らないとバラバラになるのは当たり前だ。
これは企業に対しても同じ。
僕は以前、比較的大きな上場企業に勤めていて、今も当時の仲間たちと親交があるため一般的に知りえる程度の情報が耳に入ってくるが、どうにもこうにも最近の施策(特に業界大手と言われる前社および競合企業に対して)には予定調和感しか感じない。
各役割者が壊滅しつつある業界に怖れを抱き、それに抗おうとせず、自身のポジショントークを繰り広げているように思えてしまう。もちろん正常な危機感を抱き、なんとか乗り越えようとしてらっしゃる方々もいるのであくまで一例の話ではあるが、直近で感じている各論ではある。
例を挙げることはできないが、国の政策と同じく実施することが目標となり、その先にある目的が全く語られていないような施策や発言に多々触れることがある。
なぜそうなるのか。
プレイヤーであった時期に多大なる成績を収めてそのポジションについた優秀な人間たちが、輪をなして群となればその能力を発揮することができず、予定調和に飲み込まれていく。
なぜそうなるのか。
個人的に辿り着いた答えが2つある。
一つ目は"人事評価制度"。
一部の企業では経営職であれど、数年経てば様々な理由をつけて配置転換が行われる。業務成果の評価だけでなく、その上長のポジションを"守る"ために。言い方を変えれば"扱いやすい"人材が選ばれ、自身よりも有能でない人物が登用される傾向にある。つまり、その人事は上長自身が評価されるために必要な人材ではあるが、その評価基準がプロセス重視のままであるがゆえに"文脈だけ整えることができる"能力に長けた方が選ばれる。
それはそれで一つの特能だとは思うが、誤解を恐れずに言うと、これは企業としては衰退の一途を辿る決断だと思う。荒い例えではあるが、ある年に自分対比90%の人間を登用して、更にその90%の人間が翌年、自身の90%の人事を行うと、初期担当者対比81%になる。数年経てばマンパワーが激減していることに気付く。もちろん伸び代はあるのであくまで例ではあるが、単純思想でこうなるだろう。
だからこそ、間違いなく人員登用は"自分対比100%以上"にしていかなければ企業は成長しないのではないか。
さらに…
事業=誰かの幸せを生み出す行為
人事=事業を運用するための配置
…だと考えるならば、"守る"ことを文脈の隠れ蓑にして体裁を整えるプロセスを評価する人事制度であれば、全く持って的を外れてしまっているとしか思えない。
大切なのは"攻める"配置なのだ。
※ちなみに"攻める"と'守る"のは潜在意識の話であって、事業戦略的に"守る"施策を立てることを否定しているのではない。むしろ今は"守りながら攻める"ことが大切だと考えている。
"攻める"とは、上長の立場を脅かすような(言い過ぎだけど)存在を登用し、既存の価値をぶち壊して新たに事業を生み出していくような気概で人事を行うことなのでないか。
そして、その攻めた姿勢を評価していく制度が必要なのではないか。
そうでなければ、いつまでも文脈依存のプレゼンテーションのみが評価され、実現性や再現性の低い施策が連発されてしまう。そうしているウチにキャッシュが枯渇し、事業縮小を余儀なくされる。
そして2つ目の大きな問題が"人事異動制度"。
言い換えるならば、役割者がある一定の期間を過ぎれば、その立場を責任ごと他の人間に譲るパターンが多いということ。
これがあるがゆえに、いくら想いの強い経営職でも任期が終われば全く関与しなくなる。そして、責任ごと移管されるので前任者が一生懸命に育てた事業の成果に関しても次の人間が引き継ぐことになる。そのため、いくら優秀な人間でもモチベーションを保つことは至難の業だ。こうして"攻める"気持ちが人事異動のたびに削がれていき、1つ目の課題にある"守る"ための人事評価に繋がっていく。
人材交流によるノウハウの共有や、プロジェクトごとの意識改革など人事異動による成果は少なくともある。
しかし、それがありきで2.3年経つと初期の高いモチベーションは続かない。もうすぐ異動するということを理由に策が荒くなりがちだ。そうすれば、方向的に正しい施策でも最大限の成果を生み出すことは難しくなる。
こうした組織の構造的な問題が国にも企業にもある。
改善策としてはこの逆をいけばいい。
…と口で言うのは簡単だが、実際に反対策を構築するのはなかなか難しい。
今まさに、というか毎年、いや毎シーズン、自分が経営者として直面している課題の一つでもある。
我々の会社はできるだけスタッフ自身の想いを尊重し働きやすい&能力が発揮しやすい人事を行なっている。言葉尻だけで捉えるととても良いことのように聞こえるが、内実、スタッフのモチベーションは日々乱高下するし、優秀な人材は業務過多となりコミュニケーション時間が減りがちだし、やりたいことがあるスタッフはいいけれど、実現性が低かったり他者と被ったり…と、なかなか思い通りにいかない日々をどう改善するかを考えている。
そんな折り、改めて人事について考える機会があったので整理してみた。
やはり会社や組織は"人"で成り立っている。
人の力で動かすモノなんだ。
マンパワーと聞くと人依存的な背景が浮かんできそうだがそうではなく、あくまで実業たる小売業界においてはスタッフも顧客の一人なのだ。その子たちが満足して働くことができなければ、その事業は決して消費者である不特定多数のお客様には届かない。
国も大企業も中小企業も同じ構造。
なまじうまいこといく、もしくはうまく回っている組織は往々にして前述した構造的課題が浮き彫りになってくる。
我々はどうあるべきか。
今の現状はとても感慨深い時間であり、有意義に思考を張り巡らしてこの機会をチャンスに変えていこう。
一つだけ言えることがあるとすれば、
まじめか!!!!
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